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社会を見つめ、挑戦続けた先に―アフリカ支援に奔走する今

2024年8月30日
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北迫 絵美 / Emi Kitasako

シニア・インベストメント・オフィサー / Senior Investment Officer
ダカール事務所勤務

2013年国際金融公社(IFC)入社。IFCナイロビ事務所勤務を経て、現在、IFCダカール事務所でシニア・インベストメント・オフィサーとして西・中央アフリカのアグリビジネス分野を中心に担当。入社以前は、バークレイズキャピタル証券会社東京支社にて機関投資家営業、ロゲーグローバルパートナーズ(現アリアンツグローバルインベスターズ)ロンドンにて債券・為替のファンド運用業務に従事したほか、欧州復興開発銀行で勤務。鹿児島県出身、一橋大学社会学部卒、ロンドンビジネススクールでファイナンス修士号取得。

miako kanetani with team members

自分や身内の日常 社会に見えた「矛盾」がキャリア選択のきっかけに


鹿児島で生まれ育ちました。重度の身体障がいを持つ伯父がいて、家族の介護の大変さを身近に感じながら育ちました。大学生時代は朝5時からお弁当屋さんでのバイトに出て、大学での授業を終えた後は塾の講師で夜まで働き、翌朝には仕込みに向かう生活。どちらかといえば苦学生だったと思います。

そのような中、いわゆる進学校とされる高校、そして大学に進んだのですが、そこには比較的裕福な同級生がいて、恵まれた人たちが成功しやすいのかもしれないと、社会の矛盾を心のなかに感じました。また、家族の介護という「日常」を横で見てきたこともあり、「環境によっては叶えたいことも叶えられない。社会って不平等だなぁ」と思うところがありました。

こういう状況の改善にどう貢献できるだろうと考えていたこともあり、学問分野としても、将来的な道としても、国際協力に興味を持っていました。でも、卒業後の進路を考えた際に、手に職というか、スキルをつけた方が自分の武器になると思い、金融の世界に飛び込みました。

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国際機関などの国際的な舞台を夢見ていたこともあり、外資系企業に入社。最初は債券営業の担当で、地方の信用金庫のお客様に対して営業するまさにどぶ板営業の日々。その後は、ロンドンに拠点を置くファンドに移り、グローバル債券のポートフォリオを運用していました。その後、長年の夢であった開発金融の世界で働くために、ロンドンビジネススクール(LBS)のファイナンス修士課程に進み、卒業後にIPP(※インターナショナル・プロフェッショナル・プログラム、若手専門職員育成を目的とした採用制度)を通じて欧州復興開発銀行(EBRD)に入行しました。


IFCに入社した経緯


EBRDではずっとやりたかった仕事の場を得て、転職する気もなかったのですが、ウクライナのキーウ事務所での勤務が転機になりました。最初の案件で関わった企業の社長さんが、穀物で国力を引き上げ、国の発展に大きく貢献してきた方で、こういう人たちのさらなる活躍を支援するのが私の喜びであり、ミッションだと思いました。その他でも現地のチームや文化にもどっぷり浸かって初めてビジネスができるという思いを強くしました。

ロンドンに本部を置くEBRDは各国へのアクセスが良いという「地の利」もあり、現地事務所は比較的小規模です。一方、IFCでは職員だけでなく、意思決定の場も結構現場にある。その時はちょうど30代を迎えたころで、最後の冒険かなという思いもあり、IFCに空席公募に応募し、今日にいたります。


IFCでの日々の業務

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IFCではこれまで一貫してアグリビジネスに携わってきました。まさに農場から食卓まで、様々な案件に取り組んできました。最初の拠点はナイロビで、途中でダカールに移りましたが、部署は変わらず、最初は東アフリカ、今は西・中央アフリカを担当しています。良い仲間、上司に恵まれた熱いチームで仕事をさせてもらってます。

これまでの思い出深い経験を挙げるとすれば、ケニアでの紅茶案件です。紅茶農家の協同組合のような企業への投資に際し、60万人を超える小規模農家の各地域の代表者一人ひとりから同意を得る必要がありました。組合員の中には「なぜこのような金を借りる必要があるんだ」という意見もある中、「今、水力発電に投資することによって、あなたたちの茶畑は百年は続く。孫の代を見据えた投資をしているんだ」と、顧客と共にケニア中を回って説得し、同意書にサインをもらう日々。まさに現場の最前線の醍醐味を体感した思い出深いプロジェクトです。

エチオピアでの養鶏案件も思い出深いです。エチオピアでは外国機関はお金を現地通貨建てではなく、ドル等の外貨建てで貸さなければいけない規制がありました。でも、為替レートの変動が激しく、顧客の為替リスクを減らすために、IFCは同国初となる現地通貨建ての融資を実現しました。数年にわたる中央銀行との交渉や他の国際機関との調整は、IFCだからこそ成し得た仕事だったと思います。とても大変でしたが、さまざまなコラボレーションで実現できた案件ということで、強く印象に残っています。

ちなみに最近注力しているのが、最貧国(IDA)/脆弱・紛争状況にある国(FCS)向け小規模の案件。もともと、IFCは大規模な案件を志向する傾向がありましたが、いまは小さい国では小規模の案件をしっかりやっていこうと努力しています。私は旗振り役のような感じで、ギニア、シエラレオネ、リベリアなどでスピード感をもって案件組成を進めていて、毎日、とても充実しています。


今日までのキャリアを振り返って


仕事だけに限らず、人生のいろいろな場面で、目の前のことに一つひとつチャレンジしてきたことと、そこでの成功体験を積み重ねてきたことが良かったと思っています。例えば、ロンドンのファンドで勤務していた時、最初は英語があまり得意ではなく、仕事上では成果を出していれば支障はありませんでしたが、同僚や友達同士のコミュニケーションが難しかったんですよね。それもあって、同僚からランチに誘われるようになった時は、本当にうれしかったです。そういう小さなことの日々積み重ね、目の前にあることをやり遂げていく姿勢を大事にしています。

あと、日本人によくあるタイプですが、私自身はアピールが上手ではなく、その分仕事では成果を残してきました。IFCでは、しっかりと実績を残せば、ちゃんと評価してもらえる実力主義なところはあると思います。

もうひとつ、国際協力に関わる仕事では、社会貢献という側面ばかりが取り上げられやすいですが、自分のためになるかどうかも意識しなくてはならないと思います。IFCの仕事はビジネスであって慈善事業ではありません。お客様から怒鳴られることもあれば、テロの可能性、そして出張や転勤もたくさんあるタフな仕事です。だからこそ、自分自身が楽しい、この国・地域が好きだと思えることを大前提にしています。実は、私はセミプロのトランペット奏者としても演奏活動をしているのですが、アフリカの音楽文化は素晴らしく学ぶことばかりです。自分が喜びを感じることが重要だと思っています。

 

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子育てとキャリアについて


私は、2020年に第一子を出産、2022年に第二子を出産しました。育児は悩みや解決策も人それぞれだとは思いますが、私は助けを求めることを大切にしています。例えば、「知の助け」。子育ての先輩、特に女性のネットワークを通じて、子供が生まれた時や、転勤が決まった時などの節目ごとにお話を聞かせてもらいました。セネガルでの子育てはどうですか?って聞ける同僚がいるのは、IFCならでは。そういうつながりをすごく大切にしていますね。

もうひとつ、「現実的な助け」を求めることも大切だと思います。第一子の時は自分一人で抱えがちでしたが、2人目が生まれた時には手が回らなくなり、躊躇せず周りに助けを求めるようになりました。ダカールだからこそとは思いますが、例えば家事のお手伝いさんを頼んだり、ビジネスライクに解決するようにしています。何より、夫の家事育児スキルのおかげで成り立っているので、本当に感謝しています。

実は、子供が生まれてから仕事を効率的に進められるようになったと思っています。仕事も育児も何が今求められているかを見極め、優先順位をつけながら効率的に回すスキルが身に付いたと思います。


応募者へのメッセージ


日本人、特に女性の方は自己評価を低く見積もっていたり、控えめなところが多いと思いますが、やや背伸びが必要なポジションだと思っても、積極的に応募していくことが大切だと思います。私自身が採用選考に関わることもありますが、日本人は世界各国の応募者と比べて、自分の成果などを厳しく評価しすぎてしまう傾向があるように感じます。まずは失敗を恐れず、一歩一歩のチャレンジを積み重ねていくことが大切ではないでしょうか。

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近藤侑央 / アソシエイト・インベストメント・オフィサー

国際開発への情熱は、いつも現地に暮らす人々との思い出の中に