Story

家族の支えで培った、グローバルな開発金融のキャリア

2024年11月18日
EmiKitasakoMain

中山 幸穂 / Sachiho Nakayama

シニア・スペシャルオペレーションズ・オフィサー
バンコク勤務

2007年IFC入社。ワシントンDC、メキシコシティ、東京において製造業、アグリビジネス、サービス分野の投融資業務を担当後、ウィーン事務所でロシア侵攻後のウクライナ向け投融資関連業務に携わる。現在はバンコク事務所において既存投融資案件の債務リストラクチャリングなどに取り組む。入社以前はみずほ銀行で融資業務、JPモルガン証券会社で株式の引受業務に従事。早稲田大学政治経済学部卒。タフツ大学フレッチャー・スクールで修士号を取得。

miako kanetani with team members

IFCでの経歴は?

民間の投資銀行でキャリアを積んだ後、ヤング・プロフェッショナル・プログラムを通じてIFCに2007年に入社しました。最初はワシントンDC本部で5年間ほど主にアフリカ地域を担当し、続いてメキシコシティ事務所で6年間南米地域を担当、さらに東京事務所に移って4年半ほど東南アジアを担当しました。入社後は15年間半にわたって製造業、アグリビジネス、サービス業界(MAS: Manufacturing, Agribusiness, and Services)で民間企業に対する投融資業務に携わってきました。

その後、IFCが戦争下のウクライナで民間企業向けの投融資再開に向けて動き出す中、当時ウィーンに退避していたウクライナ事務所のチームに異動し、紛争国で投融資を行うための社内体制作りから、MAS、インフラ、金融機関セクターとの営業活動や案件形成の支援、ウクライナに特化したブレンド・ファイナンスの資金調達、上層部への報告まで、幅広い業務に従事しました。

ウクライナ担当としてウィーン事務所で1年半ほど働いた後、2024年にバンコク事務所に拠点を移し、現在はスペシャル・オペレーションズ部という部署に所属しています。この部署は、既存投融資案件が何等かの理由で立ち行かなくなった際に、債務を整理したり、再構築を行ったりする部署で、私自身もMAS投融資担当者として債務リストラクチャリングに携わったことがありました。そこではマニュアルなしに問題を解決していくことが求められ、多くの案件は解決するまで数年かかるのですが、得られる学びも大きく、以前から関心を持っていました。自分には経験が足りないと長年感じていたのですが、気づけばキャリアを積み重ね、次のステージに進む良いタイミングと思い、現在のポジションの社内募集に応募して異動しました。

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これまでの思い出深い案件は?

ひとつは、日本ケミファとの案件です。これは日本ケミファと協力し、アジア、中東、アフリカで同社のジェネリック医薬品の生産と流通の拡大に向けたフィージビリティ調査を実施するというもので、現在もIFCのアップストリーム(川上段階で投融資の機会や市場を創出する取り組み)担当者が中心となって着々と進められています。日本ケミファとの繋がりはIFCがコロナ中に開催したオンライン・セミナーでしたが、その後に関係を構築し、IFCにとって日本初となるアップストリーム案件を立ち上げる役割を担いました。また、この案件は、日本政府が設置した包括的日本信託基金(CJTF)の資金支援を受けて実施されました。

海外で子供時代を過ごしたことや、IFCでは仕事が国籍に関係なく進められることもあって、それまで日本人としての意識を持つことは多くありませんでした。IFCで日本企業とも関わることなく11年間を過ごした後、東京事務所への異動を契機に日本企業にIFCをもっと活用してもらいたいという意識が高まりました。そういう背景もあって、日本ケミファのさらなる海外展開の一助になれたことをとても嬉しく思うと同時に、強くやりがいを感じた案件でした。

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もうひとつは、ウクライナ担当時に取り組んだ、アグリビジネスを手掛ける企業との案件です。そこでは食料安全保障の強化を目的として、IFCは欧州復興開発銀行や米国の国際開発金融公社と協力し、同企業が戦争下で事業を維持しつつ、あわせて持続可能な発電を拡大できるように支援しました。

ロシアの侵攻以来、ウクライナのほとんどの民間企業は資金調達が非常に困難な状況にあります。しかし、融資先は一部の施設が爆撃を受け、社員が戦闘地域に志願したり徴兵されたりして人手不足に陥るなど、差し迫った状況で事業を続けています。こうした状況下で進められるハイリスク案件ではブレンドファイナンスが不可欠です。この案件も戦時中の投融資ということで、多くをブレンド・ファイナンスによって調達し、複数の開発金融機関やドナー国との複雑な連携をかなりのスピード感で進めなければならないというプレッシャーの中、ウクライナに残る家族の安否を心配しながら案件に取り組む同僚もいて、精神的な負荷も多く、強く印象に残っています。


キャリアを歩む上で大切にしていた考え方は?

人生は仕事、家族、子育てなどの大切なことが、その時々で形を変え、重なりあう中でなりたっていると考えています。国を移動する職業を選んだこともあり、家族の人生を鑑みつつキャリアをどう歩むかは常に課題でした。最短距離で昇進したいという思いや、仕事内容への関心だけで決めることはなかったように感じます。

それもあって、人生のステージごとに、トータルでどう生きたいかを振り返るようにしてきました。例えば、独身時代は仕事が人生の大きな部分を占めており、やればやるほど結果がついてくることに楽しさを見出していました。その後、結婚して子供を持つという選択をしたことで、家族の人生を含めて自分の幸せとは何かを考えるようになりました。自分からメキシコへの異動を希望した時、仕事内容への関心やスペイン語を話せたことも背景にありましたが、メキシコ人の夫がキャリアを続けやすいことも意識していました。

自分の人生は多くの人のサポートでなりたっていることを、常に思い返すようにもしています。東京、ウィーンに赴任した際には、夫が仕事をセーブしてついてきてくれ、家事や子育てを担ってくれたからこそ、私はキャリアを進めることができました。日本に一人で暮らす高齢の親も、お互いに一緒に住む方が良いのではと思う時もありますが、今でも病気にならないように頑張ってくれていて、結果として私も海外で働くことができています。

日本人には5年後、10年後をしっかりと計画される方も多いですが、人生は結婚や子育て、病気などと色々なことが起こります。その時々でキャリアや自分にとって大切なことを棚卸しし、大局的な視点でどう生きていきたいかを柔軟に調節していく姿勢が大切だと思います。

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最後に読者へメッセージ

周りを見ていると、IFCで働くには仕事自体に強い関心を持っていることが重要と感じます。特定の地域やセクター、業務に思い入れがあって、好奇心と柔軟性で目の前の業務に取り組んでいる人は長く続いているし、現地にも馴染めていると思います。

日本企業が欧米や東南アジアだけでなく、南米、中東、アフリカといった幅広い市場で事業展開を進める中、IFCのような職場で日本人が多国籍な同僚たちと机を並べ、途上国に関わるビジネス経験を積むことは、開発課題への貢献だけでなく、日本を担う次世代の人材育成にもつながり、ひいては日本の産業全体の底上げにも資すると考えています。

IFCでの仕事は華やかな世界だけではありません。家族のキャリアや子育てをはじめ、犠牲を伴うこともあります。パートナーがいるのであればじっくりと話し合うことが大切です。事前にしっかりと調べ、自分の人生、関心、そして幸せの軸と照らし合わせて、入社を検討いただきたいと思います。入社後も困難には遭遇するとは思いますが、熟慮の末に選ばれた仕事には大きなやりがいが得られると信じています。

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近藤侑央 / アソシエイト・インベストメント・オフィサー

国際開発への情熱は、いつも現地に暮らす人々との思い出の中に